浅野地区の歴史


「香川町の地名」上巻(大野・浅野編)

 平成七年十月発行

 著者 中條 登

 より抜粋しました。

 「自治区のマップ」と併せてご覧ください。

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 香東川中流の東部、大野、川東下の東側にあり、北部の平野部と南部の丘陵部からなる。

浅野の地名の「あさ」は、衣料の原料の麻を作っている所、または、草木があまり繁茂し

ていない原野を「浅野」と呼んだという。

 「あさ」地名は、徳島県美馬郡祖谷山村阿佐、同美馬郡阿佐、香川県善通寺市大麻山、

三豊郡高瀬町麻などいずれも山地がある所が多い。当浅野地区も山は深くはないが地区の

南、東方面は山がちである。

 また、「阿佐」姓は、阿波、常陸より起こる。浅野村という地名は、美濃、尾張、信濃、

讃岐等にある。

 浅野地区には、丘陵があったためか、古代、点々と古墳が築かれている。古い時代から

人が住み、集落が開け、農耕耕作が行われ、豪族がいて、政治的にまとまっていたことが

考えられる。

 地区の中央部の丘陵地には、八王子古墳があり、南部の横岡山、油山にも古墳がある。

東部には、東赤坂古墳、北東部には万塚古墳が発掘されている。

北部の舟岡山には、前方後円墳か双方中円墳が所在するといわれているが、調査が進んでいな

いので、詳細ははっきりと分かっていない。

 中世は、大野郷に属していたが、地区の北方の平池は、久安年間(1145-50)の築造と

いわれもっと古くから小さい池が築かれていたともいわれる。北部の百相、多肥方面の

条里制の田地を潤していたようである。

江戸時代は、浅野村として香川郡東の大野郷に属した。

寛永一七年(1640)生駒領高覚帳 五二四石余

天保 九年(1838)御領分明細帳 七九二石余

と記録されている。米麦作の他、さとうきび(白下糖)、綿の栽培や養蚕が行われていた。

 灌漑用水は、香東川の流水を井堰で堰き止め、水路でため池に貯水して利用したり、

香東川の伏流水を利用したりした。

しかし、浅野の南部は丘陵地帯で土地の高低差が甚だしく、水利の便が悪くて、農業水利も

困難を極めた。南部の水田を潤す新池(川内原)は、寛永年間(1661-72)に水不足に悩む

農民のために矢延平六が築いたといわれる。他に大小のため池が一九、出水が二あった。

 船岡山の南側に石切場があった。そこから船岡石が採掘され、土木建築用材として、よく

使われていたが、安山岩で柔らかくあまり質もよくないので、現在は切り出されていない。

石切場跡が残っているのみである。また、船岡山の麓では船岡焼という陶器が焼かれていたが

現在は廃れている。

 交通は、高松城下から阿波に通ずる仏生山街道が東側の県道赤坂線沿いに通じていた。

赤坂には、一里塚が設けられていた。

 神社は、浅野八幡神社、北部の村民は滕(ちきり)神社の氏子である。

高塚山の新池神社は、新池を築いた矢延平六を祀る神社である。

秋のひょうげ祭りが有名である。寺院では実相寺が古くから開かれた寺である。

 明治以降、初め、村役場は船岡にあったが、大正期に上浅野に移転した。

戸数および人口の移り変わりは、

 明治  八年(1875)四九二戸 二二七七人

 ・・・

 昭和四四年(1969)   八八四戸  三六八〇人

 昭和六十年(1985)二一二三戸  七七八〇人

 平成  三年(1991)二六四一戸 八六二二人

明治、大正、昭和二十年代までは、純農村であったから、人口の増加もゆるやかであった。

昭和四十年代以降純農村から高松市近郊の住宅地として、八王子団地、平池団地、

平池グリンタウン、さかえ団地、その他の中小の住宅団地が造成されて人口の増加が著しく

なった。農業、明治時代は米麦作中心であったが、明治二十年ごろから花卉(かき)栽培が

始まり、副業として麦稈(ばっかん)真田編みなどが行われた。昭和に入り、野菜、

葉たばこ、かます製造などが奨励された。

戦後になって、米、麦、花卉栽培、野菜栽培など多角化が進んでいる。花作りは実相寺地区で

大規模な温室が作られ、カーネーションなどを出荷している。

工業は軽工業が多く、・・・・・(中略)。

交通、昭和四年(1929)、仏生山、塩江間に塩江温泉鉄道が浅野地区の中央を南北に開通した

が、昭和一六年(1941)に廃止された。鉄道線路跡地は仏生山駅からカラトまで通称ガソリン

道と呼ばれ、通行の多い道となっている。

江戸、明治時代は、赤坂道が主要な街道であったが、大正時代に今の国道の所に道路が作られ

た昭和に入って、その道が拡張され、昭和二八年(1953)に国道一九三号線となった。

県道岡本香川線は、岡本の国道三二号線から大野口まで、県道三谷香川線は、高松市三谷町

から香川町船岡まで通じている。

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